市街化調整区域と市街化区域の違いって?歴史的な背景も交えて分かりやすく解説!!

市街化調整区域の土地の専門不動産業者 ギブリ株式会社の代表の吉本です(^^)

本日は市街化調整区域と市街化区域って具体的に何なのか、どんな違いがあるのか?

そもそも何故その区分けがされたのか?

今回は歴史的な背景も交えて解説させて頂きます!どんな物事も歴史的背景も知ることで楽しく理解できます👍

まず結論から申し上げますと…………..

我々が専門として扱う、『市街化調整区域』は【建物建築や開発など市街化を抑える区域】

普通の不動産者さんの扱う、『市街化区域』は【住宅・商業施設・工業施設など市街化を率先して行う区域】

また、視覚的な例えを一つ、みなさん1度は新幹線は乗ったことがあるかと思います。

駅で新幹線に乗り込み、出発したてのビルや住宅などの景色のエリアは市街化区域

しばらく乗っているといきなり建物の景色が減って田や山など緑が広がるエリアは市街化調整区域

どうですか?なんとなくイメージできませんか?

この両方の区域は都市計画区法に基づいて決まっている2つの区域なんです。

そもそも何故このような区分となったのでしょうか?歴史から辿ると深い訳があります。

補足:都市計画法(総合的で具体的なまちづくりの計画を定め、実現するための強制力を定めた法律)

【都市計画の歴史】

日本における都市計画の歴史は、大きく5つの時期に分けられ、最古は明治21年から。法施工は昭和43年から。明治といえば、日本の歴史の中で最も国の体制が変わった時期であり、内閣制度の確率や近代統一国家としての体制が確立されはじめた改革の時代であり、国家として都市計画の第一歩を踏み出した時期になります。

つまり、法施工は昭和43年ですが、実は明治21年から本年まで134年間もの間、何度も修正を繰り返し日本の発展、良好な住環境の維持に密接に関係してきた歴史ある計画であったと言えます。

【市街化調整区域 と 市街化区域の線引の歴史】

ポイントの時代は終戦後(昭和21年)となります。この年にこの線引に直結する法律が制定されました。

それは、自作農創設特別措置法という法律です。簡単にいうと終戦で敗れた日本とGHQ(最高顧問:マッカーサー)と協力して作られた法律で、終戦直後主流だった大地主が土地を占有し、その土地の一部で土地を借りて耕作するというスタイルを改め、自分で自分の土地を耕すというスタイルにしようという法律で、国を主軸に大地主から小作人に土地が振り分けられるというもので、目的は農地解放(大地主と小作農の格差を縮め、自作農拡大を促し、自国の農業生産力を高める)でした。※昭和27年に廃止されています。

GHQ 最高司令官 ダグラス・マッカーサー

その農地解放により、小作人へ振り分けられた土地が高度経済成長など時代の進みと共に、次次と宅地造成や開発行為があまりにも急速に進んでしまい、乱開発などにより昭和30年〜40年頃には統一性のない住宅地がそこらじゅうに広がってしまいました。こういった計画性のない開発により、市街地に統一性がなくなるとインフラ整備/維持にも多額の予算が必要になってしまうと共に、最大のリスクは供給過剰によって不動産価値が下落してしまいます。

重要と供給のバランスが崩れると価格・価値に影響する。当然のことですよね。

それを避けるために、開発ができる区域(市街化区域)、開発を抑制する区域(市街化調整区域)という区域に分ましょう。ということになった訳です。

どうでしょうか?歴史から学ぶとなかなか面白いですよね 笑

物事には全て『なぜ?なぜそうなったのか?』という理由が存在します。

弊社もなぜ市街化調整区域専門不動産業者という形で活動してるかにもしっかり理由があります。

次回はそのあたりをお伝えできたらと思います!!

長くなりましたが、少しでも皆さんの弊社への理解、不動産への理解が深まって頂けると幸いです!!

調整区域の農地 山林 畑 田 雑種地 の売却は専門業者のギブリ株式会社へお任せください!!

日本一、市街化調整区域の不動産の取扱いに自信があります!!